飼主は自由である。どんな道具を使うのか、どんなしつけをするのか。飼うのも飼わないのも。
だからこそ、私たち飼主は、彼らについて常に多方面から学び、深めていく使命を負う。それには大きな犠牲を伴うこともある。つまりそこには常に、“覚悟”というものが必要となる。
私にとって「あき」という存在は、いつも、この深い意識のもとにある。これは、“ペット”という言葉から得られるニュアンスとは、まったく相容れないものである。そう、到底“ペット”などと呼べる軽薄な存在ではない。
『その犬にとって、飼主がどのような存在なのか。どのような存在でありたいか。』このたった1つの問いで、“ペット”という言葉のニュアンスは吹っ飛んでしまう。
私はどうも、この種の不適合性が苦手なんだなぁ。