今回は、犬のブリーディングについて書いてみようと思う。普通のブリーダーさんがやっている「普通」の繁殖ではなくて、ある特定の目的に適するように、人間が意図的に掛け合わせを繰り返し、その性質の固定化を狙う、そんな優生学的要素の強いブリーディングに焦点を当ててみたい。
例えば日本の犬である猟犬たち。古来、日本の狩人たちは、猟の補助役として働きの良い犬を繁殖し続けてきた。狩人たちにとって犬たちは、何よりも大切なパートナーであり、かけがえのない存在だ。であればこそ、より「良い」気質を持った犬をうまく選別し、その子孫を残してゆくことは、森を育てることと同じように大切なことなのだろうと思う。現存する紀州、甲斐、柴、秋田、四国、アイヌ、、、、みなその血筋を脈々と受け継いだ優良血統種なのだ。
そこで思うのは、狩人らはどのようにして、犬の「良い」と「悪い」とを選別してきたのだろう、ということだ。「良い」犬は大切に育て、子をとればいいだろう。では「悪い」犬はどうだろう。
どうも次のような方法が採られてきたらしい。非常に簡単だ。子犬が何匹か生まれて半年もしたら、山へ連れて行く。そしてそこで 「ズドン!!」。突然の空砲。驚く子犬たち。多くは山の中へ逃げていくが、残る子犬がいる。それを持ち帰るのだ。話はそれで終わりだ。終わりなのだ。
要は、猟銃の音に鈍感な犬が「良い」犬なのだ。そして、警戒心の高い犬はそのまま野犬として山へ放たれるのだ。私はそのような方法が良くないというつもりは毛頭ない。日本でさえそうなのだ。あれだけ優秀な犬種を数多く世に送り出してきたヨーロッパやアメリカで、どれだけのことが行われてきたことか。
犬と人間はパートナーであって、皆生きるのに必死。だからこそ役に立つ犬が欲しい。求め続け、生み出し続けてきたのが、犬と人間の長い長い歴史なのだ。
やがて、ヨーロッパの富裕層(貴族)を中心に、犬を愛玩動物として飼育する習慣が出てきた。人間が経済的に豊かになると、犬は、人間の仕事を補助するために利用されることがなくなってゆく。不審者を警戒したり、動くものを追いかけたり、ある特定のものに執着して吠えたり、、、人間の都合で強化あるいは鈍化されてしまった、このような犬の性質を、今度もまた人間の都合で逆方向へ修正しようとする。犬にはたまったもんじゃないのだろうけれど、しかしそれもまた、犬と人間の歴史の一部なのだ。
ある日本人へのアンケート結果がある。質問1。「犬らしさ」として挙げられるものは何ですか?回答は、吠える、唸る、走る、追う、咬む、、、そんなところ。質問2。犬にされて困ることは何ですか?回答は、吠える、唸る、走る、追う、咬む、、、。2つの質問の回答が、ぴったり重なるのだ。
ハッとさせられませんか。なんと私たちは、犬に犬でないことを望んでいるのだ。
犬に「犬であるな」というのだ。The dog should not be a dog!!
このCrazyさを深く心に留めておくことは、私たちが犬に接するときの、大切な心構えになるのではないでしょうか。
「あき」は、子犬の時に四国から送られてきた保護犬です。たぶん野犬、山犬の血が入っている。非常に落ち着いた犬に育ってくれたけれど、警戒心は高く、知らない人間にしっぽを振ってついていくような無邪気さはない。そんな人からおやつをもらっても決して食べない。上下関係に忠実で、挨拶もしないで近づいてくる無遠慮な相手には、立ち向かって行って、吠えて知らせる。
多くの人が、そんな「あたりまえ」の犬の姿や性質を理解し、正しく応じることができるようになればいい、そんな寛容な社会でありたいと思っています。