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Better Humans, Better Dogs !

公開·1名のメンバー

足元からの刺激

「ここに来ると、なぜか犬が走り回る」という話を時々耳にします。たぶんそれは、当園の地面に秘密があるからだと思います。いや、別に秘密じゃないんですが、この園を作るときに、あまり地面を平らにしなかったんです。お金がないのと、面倒なのと、いろいろ言い訳めいたことも言えるんですが、一部は「あえて」そうしているという側面もあるんです。平らじゃない方がいい、っていうことです。かといって、あんまり凸凹では勝手が利かなくなるので「いい加減」な凸凹。そこにセンチピードグラス。小石も結構ゴロゴロしてる。


人間は靴を履いてしまっているから良く判らなくなっているけれど、地面は、生き物と大地の接点なんですよね。時々、裸足になってそこらを歩いてみれば判る。「あー、確かに地球とつながっている」っていう感覚。でもこれ、真っ平では何にも感じないんですよね。ちょっとゴツゴツしていたり、草がチクチクしていたりするくらいがいい。

そういう足裏からの刺激がビンビンと脳に伝わる。僕たちの世界はあまりにも平坦すぎる。本当はもっと凸凹がいい。凸凹だった。水溜まりもあった。ぬるっとしたり、変なにおいもしたりする。あっ、風が吹いてきた。五感が刺激される。何かが内側から目覚めてくるような気がする。


きっと犬たちは僕たちよりずっと自然に近い。なのに、あまりにも平坦な生活圏に閉じ込められている。そこを少しでも打開したい。きっとみんなのびのびできる。ぼくたちも素足になろう。駆け回る犬たちのように。

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自分の犬をよく理解してあげよう

犬は基本的に「家族」と居るだけで幸せなんだ、ということを理解してあげましょう。

ドッグランなどで他の犬と仲良くできる犬が「優秀」ということではありません。自分の家族とその他をキチンと区別できて警戒することは、犬本来の基本的な能力なのです。

犬は人間が初めて家畜化した動物と言われています。その関わりは今から約2万年前までさかのぼります。人に慣れやすく、他の動物を警戒し、危険が迫れば吠えて知らせ、場合によっては自ら撃退するし、狩猟の手伝いもする。

古来、犬は「家族を他者から守る」という重要な仕事を担ってきたのです。犬たちにはその性質が、DNAに深く刻み込まれているのです。その意味で、誰とでも(人でも犬でも)仲良くなれる子は、果たして「優秀」なのだろうか、とも思えてきます。もちろん犬とのかかわり方は現代では様相を変え、仲良くしてくれる方が観ていて楽しいのは確かなんですけど。

大切なことは、人間側の都合をあまりにも押し付けすぎないこと。犬が好きな犬もいれば嫌いな犬もいる。家族以外を受け入れない犬もいる。「それはそれでいいではないか」と認め、理解し、受け入れてあげる器を、私たちは持たなければいけない。その大きな器に犬が入ることで、犬は私たちの素晴らしき共同生活者たり得るのです。

これは決して放任するということではありません。共同生活を営むには、お互いに守らなければならないルールがあります。厳格なものもあれば、ケースバイケースで比較的ゆるいものもあるでしょう。たとえば、来客に対して、吠えてお出迎えすることは許すが、飼主が行って「もういいよ」と言えば治まらないといけない。ドッグランで他の犬を追いかけ、追いかけれられ、鼻でツンツンし合うことは許すが、手をかけたり、後ろからマウントしたり、足を狙って歯を当てたりするのはダメ、など。ルールは飼主自身が個々の犬の性質に合わせて決めるものです。そして大切なことは、決めたルールを飼主自身が徹底的に守りぬくこと。犬はその様子を学び、従うようになるのです。犬が私たちの器に入るとは、そういう意味なのです。

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犬からもらう「ツン!」

犬から優しく「ツン」されるのって、いいよね。

犬との関係が樹立してくると、犬が楽しいときや、なにかやらかしちゃったあとに、「ツン」ってしてきません? 「あき」は、ぼくの手の甲や、ヒザに、優しく「ツン」って触れてくることがあります。2歳くらいまではなかったかなぁ。今年、3歳になってそんな動きがでてきたように思います。


これは、いわゆる「要求」の主張ではありません。この場合は、充分に遊んでいて「楽しいよ」「うれしいよ」。「ちょっと失敗しちゃったよ、ゴメン、ゴメン」というニュアンスです。あと、犬を探しているときに、犬の方がこちらに来ていることに気が付かずにいて「オイ、ここにいるよ」というのもありますね。


犬と人が同じ場所で協調しながら生きている感じがとってもイイですよね。

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「時間をかける」ということ

どんなことにでも言えることだが、「時間をかける」ということはとても大切なことだ。仕事や家事が忙しいなどと言うのは(実際そうなのかもしれないが)所詮イイワケなんだ、と思わないといけない。そもそも、はじめから、時間というものは工面して手に入れるものなのだ。つまり工夫が足りないのだ。工夫するアイデアが出てこないのは、頭が悪いからだ。決して他人事にしない。徹底的に考えて、場合によっては、ほかの人もうまく利用して、なんとか時間を工面する。万策尽きたら、犬も周囲の人も、きっとそれをよく理解してくれる。そこまで追い込む。どこまで追い込めるか、それがその人のキャパシティ(包容力)とかキャパビリティ(能力)というもの。キャパシティの小さい人の周りには、人も犬も長居はしない。だって不安で落ち着かないもの。それはいわゆる「個性」というものなのかもしれないが、それで片付けてはいけない。なぜなら「個性」というものは、自身で磨き高めていくものだから。


以前の記事で、”フード・アグレッシブの改善はすべての基本だ” というようなことを書いた。フード・ボールを持ったまま、犬が落ち着くまで何時間でも待つ。これも「時間」だ。犬が落ち着くのを待てないのなら、残念ながらその人は、その犬を飼えない(by パンク町田)。これはとても大切な判断基準だ。覚えておかなければならない。


ほとんどのことは「時間をかける」ことで解決できる。私たちに必要なことは「工夫」することなのだ。それによって「理解」し、「応じ」、また次の事柄に「時間をかける」ことができるのだ。それが、自身を磨くということの具体的な作業なのである。

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