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Bonn
7 日前 · さんが Better Human, Better Planet.投稿しました

犬を飼うことで出逢う、ある「層」の人たち

私たちは得てして自己中心的になりがちだが、親や子供を含め、いろいろな人や、ペットなどと共に生きることで、彼らの視点から世の中を見ることができるようになる。また、子供や犬と暮らすことで、それまで知らなかった様々な「層」の人たちと出会うことになる。子供や犬がどのように見られているのか、否応なく突き付けられる。今回は「あき」と暮らすことで見えてきた、それらの事柄について書いてみたい。


まず一つ目は、『日本人はやたら純血種が好き』ということ。どこへ行っても「この犬は何犬だね?」と必ず尋ねられる。ブランド指向なのか、枠にハメたいのか。とにかくラベルから入ろうとする人がいかに多いことか。


二つ目は『大きい犬がとにかく怖い』ということ。”大きい” というのは「その人の中の犬」とくらべて大きいということ。そうでない ”小さい” 犬はかわいいが、それを外れると途端に怖くなる。”犬” は好きだけど、”大きい犬” は怖いから嫌い。ご都合主義は当たり前。吠えられたりしたら逆上しちゃう。ここまでくると、もう精神を病んでいらっしゃる。怖いから吠える。犬と同じかそれ以下だ。


三つめは、『犬を”アイコン”として飼っている人と、”パートナー”として飼っている人が、明確に分かれる』ということ。面白いのは、その人の犬との主従関係です。前者は犬が「主」で飼い主が「従」であることが多く、後者は正しく飼い「主」であることが多い。前者の場合、一見正しい主従関係が築かれているように見えることもあるが、それは「犬のおかげ」であることがほとんどだ。その犬がたまたまとても従順な性格だったために、飼い主は助かっているだけ。犬が主導側であることに変わりはない。さらに面白いのは、そんな飼い主は、自分の犬の💩をちゃんと持ち帰らないことが多いのである。


四つ目は、『散歩禁止の公園が多い』こと。結局汚す人が多いからなんだろう。💩を持ち帰らない。確かにそれは酷いことだけど、だからと言って「禁止」と強行しちゃうのも、同レベルの酷さだと思う。2項対立することしかできないというのは、情けないというか、嘆かわしいというか。思考の方向性が間違っている。そもそも公共の公園に対して、だれが「禁止」することを許可したのか?まったくの疑問である。


最後は『犬を愛している人は、結構たくさんいる』ということ。最後くらい、いい話をしたい。地域差が大きいけれど、犬をよく知っていて、上手に接することができる人も、結構たくさんいらっしゃる。犬についてコツコツ勉強した私からすると、驚く限りだ。彼らがなぜそうなったのか興味津々だけど、それは訊かない。目の前の問題に対して、自分自身を「学び」によって変化させられる人たちなんだと思う。この社会をより良い方向へ導ける人たちだ。とても心強い仲間だ。


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Bonn
20 日前 · さんが Better Human, Better Planet.投稿しました

沈黙は語る

The quieter you become, the more life begins to speak.

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Bonn
21 日前 · さんが Better Human, Better Planet.投稿しました

教育格差

何年か前から「教育格差」ってのが問題だと言われている。僕もその本買って読んでみた。なるほどなぁ、たいへんだなぁって思った。


それから数年後。動画見てたら、武田鉄矢がこんなこと言ってた。「私はね、教育格差ってもんがわからない。何が問題なんだ?」と。そして彼は続ける。「社会ってもんには貧乏人と金持ちがいる。つまり格差ってもんが先にあって、その格差を埋めるのが ”教育” ってもんじゃぁないの?」「貧乏人でも一生懸命勉強すれば格差を乗り越えられる。それを促すのが ”教育” というものでしょう」と。


感服。異論の余地なし。

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Bonn
22 日前 · さんが Off Leash Dog Park投稿しました

わたしたちがなすべきこと

ひとつの社会を構成するメンバーの数は、最大でおおよそ 150 と言われています。逆に、それくらいの数の個体がそろえば、互いに支えあうことでそれなりに生きていけるという最小数が 150 であるとも。


最近、当園のインスタグラムのアカウントのフォロワー数が 150 を超えました。

あんまり増えても、運営に支障をきたすといけないから、この辺で打ち切りにして、先着のフォロワーだけの閉じたコミュニティにしてしまおうか、などと考えてみたりして。


「オトシモノを取らない」、「貸し切り中なのにズカズカ入ってくる」など、利用者からのメッセージも聞かれるようになってきました。とても貴重な利用者様からの声。本当にありがたく思います。


利用者が増えてくる、ということは、ある一定の確率で存在するそういう方々の絶対数が増える、ということ。どちら側に立つのかはその人次第。だけど自分の立っている場所に気付いている人は、実はかなり少ない。ほかの場所があるってことにも、当然気が付いていない。無邪気。無邪気。

でもね、それを排除するのではなく、むしろ巻き込んで前に進んでいきたい。


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Bonn
23 日前 · さんが Better Human, Better Planet.投稿しました

いのちの理(ことわり)に沿う

私たちは、いのちの理に沿わずに生きていくことはできない。

心も体もそれを無視すればどこかで必ずどこがが壊れバランスを欠く。そして半ば強制的にそれに沿うように引き戻される。

抗っても、抗っても、やっぱり無理。圧倒的に強い。

そうであればこそ、その強いものに沿って生きる方がよい。

そうしていると気付く。

私たち自身がその圧倒的な存在の一部であるということに。


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Bonn
2025年5月23日 · さんが Better Human, Better Planet.投稿しました

『フリー・ライダー』問題

すべて想像力の欠如からくる問題なんだと思う。

あと一歩、想いを深めてみよう。


庭園を「無料」で利用できるのはなぜだろう。

なぜ「無人・無料」なんだろう。


私たち自身にできることって、何だろう。


その先にあるものって、何だろう。


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Bonn
2025年5月22日 · さんが Better Human, Better Planet.投稿しました

「小型犬だから引っ張ってもいい」ってそれ・・・!

小型犬の ”しつけ” や、散歩中の ”引っ張り” について考えてみた。

個体の可愛さと、過度な擬人化による勘違いみたいなものがとても多い気がする。特に象徴的に「ひどいなぁ」と思うことは、”引っ張り” に関する考え方だ。小型だから引っ張る力は弱い。飼い主たる人間にしてみれば、女性ですら軽々だ。だから引っ張ってもいいの? 引っ張ったとき、それを強引にリードで戻されるとき、犬にどれだけの物理的負荷がかかるか。小型犬にとって人間はまさに『巨人』だ。ほんの少しの力での動きが、小型犬にとっては圧倒的なパワーで繰り広げられる『進撃』に相当する。

そういう相対的なパワーの差異を感じることができないのは、完全に人間側の想像力の欠如だし、ほんとうに自己中心性のかたまりだ。最近の小型犬ブームは、このようなことが背景にあるのは間違いないはずだ。

犬種に命の軽重はない。大型であろうと小型であろうと。

小型であるがゆえに粗雑に扱われることなど、あってはならない。

相対的パワー差がある小型犬にこそ、きちんとした ”さんぽ” ができるように導いてあげなければならない。それが ”愛情” というものだろう。

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Bonn
2025年2月10日 · さんが Better Humans, Better Dogs !投稿しました

足元からの刺激

「ここに来ると、なぜか犬が走り回る」という話を時々耳にします。たぶんそれは、当園の地面に秘密があるからだと思います。いや、別に秘密じゃないんですが、この園を作るときに、あまり地面を平らにしなかったんです。お金がないのと、面倒なのと、いろいろ言い訳めいたことも言えるんですが、一部は「あえて」そうしているという側面もあるんです。平らじゃない方がいい、っていうことです。かといって、あんまり凸凹では勝手が利かなくなるので「いい加減」な凸凹。そこにセンチピードグラス。小石も結構ゴロゴロしてる。


人間は靴を履いてしまっているから良く判らなくなっているけれど、地面は、生き物と大地の接点なんですよね。時々、裸足になってそこらを歩いてみれば判る。「あー、確かに地球とつながっている」っていう感覚。でもこれ、真っ平では何にも感じないんですよね。ちょっとゴツゴツしていたり、草がチクチクしていたりするくらいがいい。

そういう足裏からの刺激がビンビンと脳に伝わる。僕たちの世界はあまりにも平坦すぎる。本当はもっと凸凹がいい。凸凹だった。水溜まりもあった。ぬるっとしたり、変なにおいもしたりする。あっ、風が吹いてきた。五感が刺激される。何かが内側から目覚めてくるような気がする。


きっと犬たちは僕たちよりずっと自然に近い。なのに、あまりにも平坦な生活圏に閉じ込められている。そこを少しでも打開したい。きっとみんなのびのびできる。ぼくたちも素足になろう。駆け回る犬たちのように。

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Bonn
2023年12月8日 · さんが Better Humans, Better Dogs !投稿しました

自分の犬をよく理解してあげよう

犬は基本的に「家族」と居るだけで幸せなんだ、ということを理解してあげましょう。

ドッグランなどで他の犬と仲良くできる犬が「優秀」ということではありません。自分の家族とその他をキチンと区別できて警戒することは、犬本来の基本的な能力なのです。

犬は人間が初めて家畜化した動物と言われています。その関わりは今から約2万年前までさかのぼります。人に慣れやすく、他の動物を警戒し、危険が迫れば吠えて知らせ、場合によっては自ら撃退するし、狩猟の手伝いもする。

古来、犬は「家族を他者から守る」という重要な仕事を担ってきたのです。犬たちにはその性質が、DNAに深く刻み込まれているのです。その意味で、誰とでも(人でも犬でも)仲良くなれる子は、果たして「優秀」なのだろうか、とも思えてきます。もちろん犬とのかかわり方は現代では様相を変え、仲良くしてくれる方が観ていて楽しいのは確かなんですけど。

大切なことは、人間側の都合をあまりにも押し付けすぎないこと。犬が好きな犬もいれば嫌いな犬もいる。家族以外を受け入れない犬もいる。「それはそれでいいではないか」と認め、理解し、受け入れてあげる器を、私たちは持たなければいけない。その大きな器に犬が入ることで、犬は私たちの素晴らしき共同生活者たり得るのです。

これは決して放任するということではありません。共同生活を営むには、お互いに守らなければならないルールがあります。厳格なものもあれば、ケースバイケースで比較的ゆるいものもあるでしょう。たとえば、来客に対して、吠えてお出迎えすることは許すが、飼主が行って「もういいよ」と言えば治まらないといけない。ドッグランで他の犬を追いかけ、追いかけれられ、鼻でツンツンし合うことは許すが、手をかけたり、後ろからマウントしたり、足を狙って歯を当てたりするのはダメ、など。ルールは飼主自身が個々の犬の性質に合わせて決めるものです。そして大切なことは、決めたルールを飼主自身が徹底的に守りぬくこと。犬はその様子を学び、従うようになるのです。犬が私たちの器に入るとは、そういう意味なのです。

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