「あき」はいわゆる保護犬です。香川県の保護団体が「保護」した子犬の4兄弟が、保護団体どうしのつながりにより、静岡県の2つの保護団体に、3匹と1匹に分けて譲られました。前者の団体に1匹の里親希望を出しましたが、すぐに返事が来て「その子はダメです。無理です。暴れて吠えて大変ですから、別の子を薦めます」と。私が「個体を差別しない」とお伝えしたところ、まだ3匹のうち誰も希望者のいない子がいるというので、その子を指名することにしました。それが「あき」です。すぐに面会となりましたが、「無理だ」と伝えられていた子に、なぜかその時すでに面会者が決まっていました。これが団体に対して私が抱いた最初の疑念でしたが、その後、疑念は深まるばかり、次々と不信につながる事柄が出現することになります。
2週間ほどのトライアル期間はあっという間に過ぎました。私はこのときすでに「あき」の強烈なフード・アグレッシブと食糞癖の改善に入っていました。このことは、犬との信頼関係が築けていることを意味しています。つまり「あき」は、すでに完全に「うちの子」になっていたということです。トライアル期間が終了し、再び「あき」を連れて団体のもとへ。クレートに入っている「あき」はただならぬ雰囲気を察してガチガチにおびえていました。団体の代表者はそんな「あき」を、なんとも無造作に片手でつかみ上げて笑っていました。「あき」はこの時初めて失禁してしまいました。後にも先にも「あき」が失禁したのは、この1度だけです。その事実を団体はどのように受け止めるのでしょうか。子犬のこの時期、特に和犬種は、本当に注意して扱わなければいけないのですが、ひどい扱いを受けてしまいました。トラウマにならないよう祈りました。なぜそのように扱ったのか、それは、団体の代表者が「犬の扱いに慣れている」「犬をよく知っている」ということを私たちに強圧的に誇示するためです。そのことが見え透いていることがまた、不信感をあおることになります。
このような経緯で、ようやく「あき(当時は別の仮名が付けられていました)」は、前者の団体から提示された規定料金を ”寄付金” として支払うことと、団体から提示される「譲渡条件」に合意することで、我が家に来ることになりました。正式譲渡というやつです。後半の料金支払いと合意は「なぜ先に詳しい説明がなかったのだろう」と思いました。前半がとてもスムースだったことに比べると、まるで後出しジャンケンのようでした。子犬への愛着がすっかり根付いたあとで異様な重圧をかける感じがとても嫌でした。当然犬にも嫌な雰囲気は伝わっています。私たちの方が、団体から犬を保護しているような錯覚さえ感じました。今思えば、錯覚でもなんでもなく事実だったわけですが。
「譲渡条件」は驚くほど団体優位な不平等なものです。後見人まで見つけて来いというのに、正式譲渡後であっても団体の一存で犬を引き上げると。リードはこれ、ハーネスはこれ、カラーはこれ、両方つけてダブルリードで。フードはプレミアム以上。とにかく、犬に何か問題があったり飼主が違反したら強制的に犬を引き上げる。団体は一切悪くない、あらゆることの責任はすべて飼主側にあり、とにかく犬を引き上げる、というもの。確かに、犬の個性を重視するとともに、健康や安全を確保し、適切な環境を与え、必要なしつけやトレーニングを行うのは飼主として当然のことであり義務である。まったくその通りであり大賛成なのだが、そのことの表現がどうしてこのような強圧的な記述になってしまうのか、よく分かりませんが、そういう意味がよく分からない記述については、私はそのように大きく理解し、「そういうことですよね」と団体側に確認してから契約書にサインしたのを覚えています。
正式譲渡後数ヶ月が経ち、すっかり落ち着いた頃、団体主催の「譲渡会」が近所で開かれたため、少しだけ顔を見せに行ったことがありますが、彼らは「あき」のことを、譲渡前の団体が付けた名前で読んでいて辟易しました。
さて、それから1年ほど経ち、我が「群れ」の大切な一翼を担う、かけがえなのない存在となった「あき」。自信をもってほかの犬と接することもできるようになりました。ほかの兄弟3匹は、いまどうしているだろうか、などと要らぬ思いを抱いたりしていました。そんな時、兄弟犬の1匹が、譲渡先から保護団体へ返還された事実を知り、場合によっては私が里親になる展開も想像しつつ、「あき」と娘を連れて会いに行ってみました。その団体は、3匹と1匹に分けられたとき、1匹だけの方を引き受けた団体でした。
兄弟犬は、残念ながらケージの中で吠えまくっていました。警戒し、落ち着きなく唸っていましたが、「あき」と私と娘は、ずいぶん長い時間、吠える犬の隣で、落ち着くのをじっと待っていました。でも残念ながらコミュニケーションをとる機会には恵まれず、団体の代表者に「あき」とその子の関係と、来訪の意をお伝えして帰宅しました。代表者はとても驚いて暖かく迎えてれました。その後、自身が撮った「あき」の写真を、「あき」を引き受けた団体へ送り、事の経緯を伝えてくれました。きっと珍しいケースなのでしょう。
その後はとんでもない展開になりました。送られた「あき」の写真を見た代表者は「ダブルリードじゃない!」「話をしたいから犬を連れて来い」と言い始めたのです。「うちの子はみんなダブルリードって決まってるんです」「守れないなら犬を引き上げます。」という。
2週間後、家族みんな(娘の友人1人も一緒に)で、高速道路を飛ばして「話をしに」向かいました。犬にとって何が必要で、どうあるべきか、私の考え方とその具体的方法などについて、充分に時間をかけてお話しし、理解してもらうつもりで伺いました。そのため子供たちと「あき」は、車内または近くの遊べる場所に待機させました。ところが、少し話し始めると、すぐに嫌そうな顔をされて「ハイハイ」という感じで横を向いて席を立ってしまう。こちらは正面から対峙して話をしているつもりなのですが、最後には「いつでも犬を戻してもらって結構です」と決め打ちが返される。まったくこちらの意思は通じないし、訳が分からないことに帰着してしまう。また、そのとき代表者は「あき」のことを当初の仮名で呼ぶ。なぜだろう。
結局、残念ながらあまりちゃんとした話し合いをすることはできませんでした。あとで落ち着いてよく考えてみたら、「犬を引き上げる」というのは不平等な契約に基づく「恐喝」です。少なくとも、犬のことを思って発言しているとは到底思えない。引き上げることで犬が幸せになるとでも思っているのか。私のところよりも良い環境を与えられるというのか。あまりの低レベルさに、開いた口が塞がりません。
この訪問には「あき」の兄弟犬を再保護した団体の代表者が同席されることで「まぁまぁ」で終わってしまいました。なんだか気分の悪さだけが澱のように残る旅になってしまいましたが、いろいろと深く考える良い機会にしたいと、前向きに行こうと思います。私は、何があっても「あき」を守らなければ、と改めて、当初とは別の意味で、思いを強く固めました。
ちなみにその訪問場所は、建物の2階のひと部屋でしたが、ちょうど「しつけ教室」が行われていて、トレーナの女性が一生懸命指導しておられました。インカムを付けて。初めてそういう教室みたいなところを垣間見ましたが、ものすごい音量でした。犬は吠えます。暴れる子もいます。それを超えるマイク音声。横では落ち着きのない子が怯えてオロオロしている。飼主は疲弊し、ため息をついている。私には、早々に退散すべき「修羅場」以外の何物でもない場所でした。こんな環境では人にも犬にも何も教えられないのに。。。
実は、訪問に付き合ってくれた娘の友人は「あき」の大親友で、馬も扱えるスゴイ子です。彼女は、元来の動物好きな性格や「あき」との交流などにより、自分も犬を飼ってみたいと強く願い、「保護犬」という選択を考えていました。「あき」がそうだったことが強く影響していたと思います。彼女は同団体のブログを頻繁にチェックし、いよいよ気に入った子犬を見つけて応募しましたが、何を根拠にされたのか「アレルギーはないか」と問われ、わざわざ検査をして陰性証明書を持参しても、結局、難癖つけて断られたそうだ。私の時はそんなことは訊かれなかった。対応が全く異なる。なぜ、なぜ、そうなってしまうのだろう。
その後、2団体からの連絡はありません。私は、動物保護や保護団体というものについて、もう一度深く考え始めています。