「個性」はいかに作られるか。「うちの子は、~~だから・・・」とよく言われるけれど、そうである理由はやはり飼主にある。Better Humans, Better Dogs! とはそういう意味。優しく落ち着いた子は、飼主がそのように育てたから。吠えてしまう子も、噛んでしまう子も、またしかり。ただしここで大切なことは、すべての飼主と犬の関係性は「途中」であるということ。まだ結果ではないのだ。
真剣に向き合えば必ず変わる。いい加減にあつかえば、やはりそれなりにしかならない。やり方が悪ければ悪い方向へ進むことさえ、当然ある。けれど、それも「途中」。失敗は反省して改善すればいい。試行錯誤。その連続。あきらめてはいけない。
大切なのは真剣さを失わないこと。一貫性。裏表のないこと。ぶれないこと。そしてそれらがすべて「やさしさ」に包まれていること。
トレーナは、飼主を責めない。責められない。だってお客さんだもの。幾人かのトレーナを渡り歩いて、結局ダメで、それで新しいトレーナへ行きつけば、新しいトレーナは、過去のトレーナをひどく責めるだろうが、決して自分のところへ来た飼主は責めない。責めることはできない。それは犬のためでもあるのだろう。トレーナ同士で足の引っ張り合いしても詮無いことなのだけれど、結果が出ていないのだから、それもまた、仕方がないことなのだろう。
でも、犬に最も影響を与えれられる存在は、まぎれもなく「飼主」であることを忘れてはならない。ここが重要である。躾を自分ではない誰か(トレーナ)に依頼することを選んだのも、”その”トレーナを選んだのも、全部「飼い主」である。結果、それに満足するのか、しないのか、それも「飼主」。全部「飼主」。
であるならば、全部自分でやってやろう、私はそう思うのです。プロの力は偉大だ。素晴らしい知見と経験を持っている。心から尊敬する。しかし、ならば、自分がそれに近づけばいい。そして、”できない”と、もがけばいい。いつも「途中」なのだし、その苦悩は全部まるっと、やがて自分の「力」になるのだから。