先日「あき」と散歩していたら、小型犬を連れた女性に声をかけられ、また即席相談会が行われました。
今回はその時私が話した内容を書き留めておきたいと思います。(一部情報整理のために書き換えや書き足しをしています。)
相談は「吠え」とか「トイ・アグレッシブ」とか、でしたが、個別具体的なテクニックをお話ししても、いつも不完全燃焼、「伝えられなかった感」に苛まれていた私は、今回初めて、ある程度時間をかけて、その「伝えられない感覚」についてお話しし、そのうえで、犬に一番はじめに伝えるべき、最も根本的な事柄は何なのか、ということについて、その方と一緒に考えてみました。
その方は、とても一生懸命に、いろいろと悩み、考えておられている様子でした。その真摯な姿勢は、いつか必ず犬に伝わる。だから、私としてはあまり心配しなくてもいいと思いました。「そのうち治る」という感じです。
しかし、私もいろいろ勉強を進めていく中で「この月齢時に必ずやらなければならないこと」的なものがあるということを知ったり、同じ若犬でも家庭犬としてのしつけの程度や深さに差があったりするのは事実であり、そのコアとなる事柄として、どんなことがあるのだろうかと、考えてみたわけです。
以前の記事で似たようなことを書きました。そこでは「来い」と「待て」でした。最初に教えるべきコマンドとしてそれらを挙げたのでした。では、この2つコマンドに共通して存在する事柄、言い換えれば、この2つのコマンドを覚えさせることによって、私は犬に何を伝えようとしているのか。その「意志」とは、何なのか。
それは『「境界がある」ことを理解させる』ことです。行ってもいいところといけないところがある、というような空間的あるいは物理的な境界はもちろんですが、行ってはいけないところには行かない、やってはいけないことはやらない、という意識的あるいは心理的な境界も、そこには含まれます。これは、それをすればいいことがある、という報酬や、ましてや服従や恐怖からもたらされるものではなく、もっと深層心理的なもの。誤解を恐れずに言えば、ものと物、あなたと私、そういう根本的な世界認識のようなもの、と言えるかもしれません。そして、あっちもGood、こっちもGood。あなたもGood、私もGoodという相互尊重(リスペクト)感。さらには、飼主と繋がっている、ここに居ていいんだ、という安心感。
かなり抽象的なことだけど、犬に抽象論を語ってみても仕方ないので、それを具体的な所作(ボディー・ランゲージ)やコマンドなどで伝えるわけですが、ここまで話を進めてくると「来い」や「待て」の教え方は、以前とは随分変わってくるような気がします。いかがでしょうか。知的で思慮深く落ち着いた犬に育ってくれる気がしませんか。実は、飼主のそのマインドが、いちばん大切なんです。
そしてよくよく考えてみれば、犬に教えるべきしつけや基本的なコマンドなどは、すべてこの原則に沿ったものだということが見えてきます。だからこの原則を早く伝えて理解してもらえば、そのあとの応用コマンドなどはいとも簡単に覚えるようになるし、飼主のちょっとした動きで、犬が自らその意志を酌み、動くようになるのです。