最近また出会ってしまった。マウントしてくる飼主様。犬を見下しその飼主も見下す。ナンデダロウ。
なぜか、ゴールデン・レトリーバの飼い主ばっかりなんだよなぁ。あっ!うちの近くの人じゃないですよ。私が存じ上げている近所のゴールデン・レトリーバの飼主さんはいたって普通です。人としてあたりまえに付き合える方々です。誤解ありませんように。
問題(不安)を抱えていない飼主はいない。私はそう思う。しつけやトレーニングの問題は、大切なことだけど、比較的解決しやすいものだ。ほかにも、食や薬などの健康、加齢による将来の心配事もあると思う。
犬は人の群れに居ながら、人の言葉を話せない。そしてその足りない部分を補うように、いろいろなことにとても敏感な感受性を持っている。わたしたちはその子たちによく耳を傾け、一生懸命彼らを観察し、理解しようとする。その思いは、決して、自分の飼っている犬だけに向けられるものではない。飼主さんたちは、そんな風にいろいろな犬を観ることで自分のスキルを高め、そしていろいろな犬たちを愛してゆく。犬種や個性、年齢や性別による違いを理解し ”いろいろ” であること、そしてその個体自身の変化をも楽しむ。そして、彼らとよりよい関係性を築くために、自分に足りないものは何だろうか、自分にできることは何だろうか、と問う。それは、人と犬との関係だけではない。犬と犬、人と人も例外なく同じはずだ。
それがどうして「この子はダメな子だねぇ」になるのだろう。不思議にその言葉はご自身には向けられない。その犬は飼主がそんなんだってことをどう感じているのだろうか。これは難問だ。不安でもある。
出会いには「アタリ」と「ハズレ」がある。幸いにして私は「アタリ」が多い幸せ者だ。豊かに人生を送れている。「ハズレ」は無視するに限る。無かったことにすればいい。きっと相手もそう思っているし、もう二度と会わないだろうから。
「犬をコントロールする」ことなんてはっきり言って、どうでもいい。うわべだけのコントロールに価値なんてない。大切なのは何?自分の犬のことだけじゃないよ。
犬をコントロールすることを目的化してはいけない。それは、本当に大切なことが満たされたときに、私たち自身や犬たち自身から否応なくあふれ出てくるものなのだ。だからこそ、本当に価値のある事だとも言えるのだ。